学びの特色

道徳授業・生徒発表例

自己の好悪をもって他に強いず
(3年男子)

 私たちは、それぞれ立場や境遇を異にし、ものの考え方、興味、関心など多くの点で異なっています。ところが日常生活では、このような事実を忘れ、自分本位の考えで物事を判断し、自分がよいと思うことを他の人に強要する、いわゆるおせっかいをすることがしばしばあります。これは他人の立場や事情を理解しないで他人に何かを強要しようとしてもかえって逆効果になってしまいます。
 例えば、昔、食後に食器をキッチンに持っていったら母親に「邪魔をしないで」と言われてしまいました。これも自分がそのときの母親の状況を理解していなかったため起こってしまいました。それからというもの、「○○やってもいい?」と確認してから何かをするようになりました。今後、自分が嫌なことを他人にしないことはもちろん、自分がよいと思っていることも、それが本当に相手にとって嬉しいことだろうかということをしっかりと考えていきたいです

広く開発して深くこれを救済す
(3年女子)

 私はこの言葉を読んで、周囲を変えていくにはまず自分が変わることが必要なんだなと思いました。相手の意見や考えを尊重し、思いやりや親切な心がない限り、周囲が変わることはけしてありません。だから、たとえ相手と意見などが異なっても自分の考えを押し付けたり、その考えを否定したりすることなく、受け入れることが大切です。私もこれからクラスや部活内がもっとよくなっていくように、切磋琢磨していきたいと思います。

苦悶の中に自暴自棄せず
(4年女子)

 この格言は生きていく上で苦難に直面したときの心構えを述べたものだそうです。人が生きているかぎりに遭遇する、苦悩や不安などの苦難に対して他人に非難や攻撃するのではなく、どのように受けとめるかということが大切であるとこの格言は主張しています。
 私が中学生のとき、中学校の部活の練習で自分があまり上手くできないことを周りのみんなは簡単にこなしていて、とても苦しい思いをしたことがあります。その困難に直面したときに始めはどうせいつかはできるようになるだろうと思い何もしませんでした。それでもやっぱり何もしていなければ自分は何も成長できていませんでした。そして一度はもうどうでもいいやと自暴自棄に陥りました。でもやっぱりそんな風にこの困難を受けとめても自分の技術も自分自身もまったく成長しないということに気づき、この困難は自分にとって試練だ、成長するためのチャンスだととらえるようになりました。そこから必死に努力していったら困難を乗り越えることができたし、自分自身も物事を前向き思考でとらえるようになりました。
 この格言ではこのように、どのような苦難に対してもそれを正面から受けとめて自己の品性を向上させる絶好の機会だと考え前向きな態度で努力することが大切だと言っています。
 私もそのとおりだと思います。乗り越えるべき苦難を苦難と考えても、自分自身がそれを乗り越えようとするやる気も湧かないと思います。だったら苦難をチャンスだと考えた方が成功しやすくなると思います。
 私は今吹奏楽部に入部していて高校から初めて楽器を吹くという状態です。低音とか色んな音をきれいに出すことができなくて、入部して一週間しか経っていないのに少しいやになっていました。でも続けていけば確実に上達してみんなみたいに上手く合奏できるようになると思うので努力を続けていきたいと思います。

途中困難最後必勝(5年男子)

 私は途中困難最後必勝という格言を選びました。この格言は、私が今まで経験したことやこれから先また経験するであろうことを教えてくれる格言です。
 まず私が今に至るまでの途中困難最後必勝についてです。最近の例でいきますと、中学校での部活、ILCへの進学です。
 中学の部活で剣道をやっていた私は、チームワークの大切さを学びました。一見剣道は個人のスポーツのように思えますが、団体戦に関してはチームワークが必要不可欠となります。形式上は一対一の個人戦ですが前の人の戦歴からどういうプレーをするかが団体戦のキーになります。そしてもう一つ、普段の稽古でいかにお互い切磋琢磨し合えるかが大切です。ここで私が困難に思ったのが普段の稽古に対するモチベーションです。モチベーションを上げるにはみんなが大会に向けて優勝するという高い意識を持たせることが必要だと思い、部長と私で、先頭をきって普段の稽古から全力でやる姿を部員に見せてきました。しかしそう簡単にはいかず、大会直前になるまで本当に一つになるということはできませんでした。それまで市内大会で優勝し、40年ぶりの快挙やら何やら盛り上がってはいましたが、最後の大会で今まで2位だった学校に敗れてしまいました。やはりチームで一つになり始めたのが早かったチームは最後の大会に向けてきっちり仕上げてきていてチームとしては完敗でした。今思えば自分の責任でもあるなと思った私ですが、その当時試合に敗れた私の気持ちは怒りと悔しさであふれていました。自分のチームメイトであり一番目、二番目で試合をして、敗れた選手達がなんと試合後ヘラヘラ笑っていて、まるで自分たちが今までしてきた努力を踏みにじるかのようにお互い談笑していたのです。本来なら部活が弱くて勝てなかったけど、最後みんなで頑張って勝てました。というシナリオを私も書きたかったのですが、この様子を見てチームとして勝つ、チームワークにおいてまでも勝つことができなかった自分の不甲斐なさにとても落胆してしまいました。そして高校に入って中学のときに成し遂げられなかった真のチームワークが試されるサッカーを始めました。今、私の学年は仲が良くお互い切磋琢磨し合っています。しかしまだ甘い部分もあり、そして私の途中困難最後必勝はまだ最後必勝しておらず、途中困難をしている真っ最中です。中学のときから追い求めている本当のチームワークを見つけるために一日を大切にしていきたいです。
 そしてILCでもいろいろな途中困難が今もありますがこの先もあると思います。そんな苦しい状況でもお互い切磋琢磨し合って将来自分がなりたい職業に就いて活躍し、最後必勝を勝ち取りにいきたいと思います。

途中困難最後必勝(5年男子)

 私の選んだ格言は「途中困難最後必勝」です。この格言は人生において私達に降りかかる苦難を成長の好機として捉え、蓄え続ける事が出来れば後の自らの人生までもを変える事につながるという意味がこめられています。
 私がこの格言に胸を打たれ、選ぶに至った点は二つあります。一つ目は自分の日々の生活の中でこの格言によって答えが得られる部分がたくさんある事に気づいたからです。これはほんの一例ですが、この私達が勉強しているILCでは毎日と言って良いほど宿題が先生方から与えられます。ただ問題を解くだけでなく、時にはスピーチを自分で作成して発表する事もあります。こう宿題に取り組んでいるとどうしても面倒臭いなぁという気持ちが自分の中で膨らんでくる人もいるのではないでしょうか。私もついそう感じる事はあります。それではその与えられている宿題を面倒だと適当にやってしまう人とこれは自分の実力を向上させる為の大切な機会だと捉える人とではどちらが一年後の冬に良い状態で入試を迎える事が出来ると思いますか?間違い無く日々の宿題をポジティブに受けとめてこなす後者が成長度が高いと私は思います。これに留まらず海外研修やニュースプレゼン等このクラスは気持ちの持ちようでいくらでも実力が上がると私は思います。二つ目は少し単純な理由ですが自分が今まで意識してきた事は間違いじゃ無かったんだなと再確認出来たからです。私はこれまで何か失敗をしてしまった時にここを頑張ったら一つ成長出来るはず、だから今自分がすべき事は落ち込む事じゃなく次回成功させる為にどうすれば良いか考えようと意識する事がありました。しかし時々それはただの開き直りじゃないかと責められていました。でもこの格言で気持ちの持ち方一つで人生すら変わると改めて知る事が出来たのでこれからも前向きな考え方を意識しようと思います。

道徳は犠牲なり相互的にあらず
(5年男子)

この格言は、道徳の本質が犠牲的なものであることを述べたものです。
 一般に私たちは、よいことを行なう場合、開いてからの感謝や返礼を期待しがちです。これは道徳を相互的なものと考えているからです。例えば、何か人の役に立つことをしたのに感謝されなかったり、相手が自分の期待通りに動かなかったりすると、つい腹を立て、心の中で相手に対してイラつくことがあると思います。
 このように人に対して親切にする行為などは形のうえでは道徳的に見えることもあります。しかし、相手の態度によって優越感をもったり、不満を抱いたりするような心づかいでは真の道徳とは言えません。それは結局、自分中心の利己的な心に基づいているからです。
 僕は毎朝、家から最寄り駅までと南柏から麗澤までの道を歩いてきています。その時、よく車や自転車に道を譲ったりするのですが、たまに感謝の意を表してくれなかったりする人がいます。前までそのようなことがあったら毎回、心の中で「感謝の気持ちぐらい表に出してくれてもいいのに」と朝から若干不機嫌になってしまい、そのままの調子でずるずると授業を受ける、という感じでした。しかし、この格言を読んだ後、自分は今まで単に見返りがほしいだけだったのかと思うようになったので一回考えてみました。その結果、今までは本当に単純に見返りがほしかっただけかもしれない。けれども見返りのありなしで何か問題が発生する訳でもない。ならば、別に見返りがなくても、自分の中で少し満足するだけで十分だな、という結論にいたりました。
 ただし、あまりにも見返りを求めなさすぎて自己犠牲ばかりでもよくないと思うので、そのバランスは今この場や社会に出て行く中で、学んでいきたいと思います。